keichan’s blog

私が想ったことを想ったままに♪

日本遺産『旧閑谷学校』3/13早春を愛でるかい?


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ぽかぽか陽気に誘われて

心残りのあった場所へ行って来ました!

 

 

おはようございます。

 

keichanです♪

  

keichan2020.hatenablog.com

 

入場せぬままで後悔した前回…

今回はたっぷりと楽しんできました♪


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寛文10年 1670年誕生  

特別史跡

日本遺産 旧閑谷学校

SHIZUTANI   SCHOOL

世界最古の庶民のための公立学校

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http://shizutani.jp

〒705-0036岡山県備前市閑谷784

史跡受付 TEL/FAX0869-67-1436

 

《入場料》

大人 400円

小中学生 100円

65歳以上 200円

 

 

 

 

 

創始者

学校教育の先駆者 岡山藩主 池田光正


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Wikipediaより

 

「国づくりは 人づくり」 

当時は4代将軍家綱の時代で封建制度も固まり、身分制度も大変厳しく「百姓は生かさず殺さず」と言われていたそう。そんな時代に農民など庶民に学問をさせ徳を磨かせたことは、実に画期的な大事業でありました。

 

光政は、有能な家臣を見いだし

その知恵や能力を存分に発揮させました。

 

そのひとり

学者/熊沢蕃山に領主の心構えとなる学問を学び、藩の補佐役として助言を受けます。

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Wikipediaより

 

 

そしてもうひとり

行政手腕、実行力に優れた家臣

≪建設・経営者≫

土木の天才 岡山藩士 

津田永忠

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Wikipediaより

 

主君光政に学校建設運営を任された永忠

庶民教育の殿堂として永遠に発展するものをという意図を見事に組みとり、限りなく良い素材を選び、約30年ほどかけて実に精巧堅固に造りあげました。

 

さらに、その運営のために学校の南5㎞の田畑山林は岡山藩の領地からはずして学校領とし、その収入で学校が永久に続くようにと配慮されていた。

 

永忠の功績は学校建設以外にも多くあり

代表的なもので、

 

日本三名園 岡山後楽園

美しい庭園としてだけではなく、城を敵の攻撃から守る役割をも考え造られている

 

百間川

城下町の水害を防ぐために開発された旭川放水路の人工河川をつくる

 

などがあります。

 

 

ではさっそく、

校門内へ入って参りましょう🐾

 

1 校門

(鶴鳴門 かくめいもん)

 

屋根は備前焼の本瓦葺き、棟に鯱を載せた正門。

賢人の名声は必ず遠く広く伝わっていくものだから精進せよという期待や、閑谷学校の教育が世間に広く知れ渡るようにという願いを「遠くまで聞こえる鶴の鳴き声のように」という例え、「鶴鳴門」とも呼ばれています。実際に門の開け閉めの音が鶴の鳴き声に似ているとも。


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ちなみにここからの入場は出来ません。

案内所入口が別にあります。

 

 

2 閑谷神社 

(東御堂)

 

創始者岡山藩主 池田光政を祀る神社。


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本殿内には御神体として光政の座像が安置されています。


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 巴瓦には、

池田家の家紋のひとつ「とまり揚羽の蝶」f:id:keichan2020:20210225175126j:image

 

 鬼板など備前焼

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3 聖廟 せいびょう

(西御堂)


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儒学の祖、孔子の徳を称える最も重要な施設。

その表れとして中央の一番高い所に配されています。

毎年10月に孔子の徳を称える「釈菜(せきさい)」の儀式が行われます。


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床に敷き詰められた六角形の敷瓦(しきがわら)
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聖廟奥の大成殿
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4 孔子

金色に輝く、京都の名工による金銅像


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奥を覗いてみると
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孔子像の安置されている朱塗りの八角形の聖がん

 

 孔子に対して

「今日一日あなたの教えを一心に勉強します」と誓い

それから論語など四書五経を学んだと言われています。

 

《特別公開》

毎年1月4日の「読初の儀」

毎年10月第四土曜日の「釈菜(せきさい)」

 

 

 

5 楷の木

 

聖廟の前に移植された、四季を通して情緒豊かな「学問の木」

 

中国山東省曲阜の孔林(孔子墓所近く)から種子を持ち帰り苗に育てられた内の2本です。

紅葉の季節には美しく色づく楷の木を見ることが出来ます。


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左手から

3聖廟(孔子像) 2閑谷神社(光政像) 

 

「3聖廟」の方が高くなっているのお分かりでしょうか(*'▽')          

神社の方が敷地を1メートルほど下げて、建物も規模を小さく造られています。

殿様なれど、師である孔子に対する謙虚な気持ちで礼を尽くしています。

 

 

 

6 講堂(国宝)

「学問の殿堂」

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入母屋造り・しころ葺きの屋根
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10本のけやきの柱の中が「内室」外は「入側」

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1と6のつく日

教授が正面の書見台の前に座り、生徒は内室に座って講義を受けていました。

 

床は漆仕上げ

ここで学んだ生徒たちが磨き上げ鏡のように光り輝く。

その床に花頭窓の影をうつし、なんとも厳粛な雰囲気をかもし出しています。


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学問に厳しい校風を表すかのごとく飾りなく清楚な造り


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講堂正面に掲げてられている

2代目将軍綱政公の書国宝)


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【 定】

一、閑谷入学の者、礼儀正しく学問すべし(以下略)

一、学問所へ附したる所の林、猥りに伐採すべからざること

一、諸事、奉行の指示に任すべきこと

 

 



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定の右の黒い額

【朱文公学規】

朱子学を教えた学校に必ず掲げられる

 

 

 

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東の内壁には、5代目治政公の書「克明徳」の三字額

 

 

 

7 小斎 しょうさい

藩主が臨学の際に使用する、御成の間。


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お殿様用

天井は矢竹を使い茶室風な数寄屋造り

1の間、2の間、両方から使えるよう、畳半畳の炉がきってある

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小斎の前の門

「公門」お殿様の御成門
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8 習芸斎 しゅうげいさい

農民たちも学んだ、畳48畳敷ほどで教室として使われた施設。

儒学の中の「五経」などを学習したところ
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9 飲室 いんしつ

教師と生徒が、湯茶を喫した休憩所

土間の右側には、すのこで造られた湯飲み置きがある。
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中央の炉のふちには

「この炉の中炭火のほか薪火許さず」と漢文の注意書き

火の使用に厳重な注意が彫り込まれています。
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飲室の前の門「飲室門」

(写真上)先生や生徒の通用門

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(写真下)「暗渠」排水用の地下の水路 

 

飲室の西

「文庫」

土蔵作りで現在の図書館の書庫にあたるもの
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文庫の西

「火除山」

すそを石垣でまいた小高い丘

学生の生活の場である学房に万が一火事が起きても講堂や聖廟に火が回らないようにするために造られた人工の丘で防火設備です。

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10 石塀 せきへい

 

350年を経て今も整然たる姿

かまぼこ型の石塀が学校をとりまく。全長765m

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石の間に綺麗に洗ったぐり石を入れる技術のおかげで、くさが生えていません。
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ほかにも、数々の技術が施されています。

↓軒下の瓦の下の備前焼の細い管

 瓦が壊れたさいの排水

 晴れた日は空気の流れで乾燥

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↑軒下の垂木の先に麻布をまいて黒漆をかけて、

腐食を防いでいる

 


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石塀と火除山石垣の細い道を

西に進んださき

 

11 資料館(資料は撮影禁止)

登録有形文化財

 

明治39年まで高等学校でしたが、その旧校舎を利用した資料館。


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この場所に江戸時代から明治にかけて先生や役人の宿舎、生徒の学房などがありました。普段はここで勉強していたそうです。


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史跡受付を出た東側 

12 椿山 特別史跡

 

守護の願いが込められた、神々しい雰囲気の椿のトンネルを進んだ先に、池田光政の髪・爪・歯などを納めた供養塚「御納所」があります。


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13 黄葉亭 こうようてい

 

生徒から頼山陽・菅茶山などの文人までが茶を楽しんだ憩いの場。
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黄葉亭までの渓流沿いの小径に親しみやすい『論語』が20章句ほど紹介されています。f:id:keichan2020:20210225153344j:image

 

鳥のさえずり

 

小川のせせらぎ

 

癒されます。

 

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自然豊かな論語の小径

 

のんびり散歩

 


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論語


子曰わく

吾れ十五にして学に志す。

三十にして立つ。

四十にして惑わず。

五十にして天命を知る。

六十にして耳順(したが)ふ

七十にして心の欲する所に従へども矩(のり)を踰(こ)えず

 


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春ももうすぐ


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季節ごとの美しさもある

年齢を重ねた時々の感じ方もある

また訪れてみたいな

 

 

3/13国宝見学のチャンスです!

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最後まで おつきあい

 

ありがとうございました。